ペカチカほいほいのブログ

ギャンブル歴50年、浮き沈み人生で出会った楽しい出来事の数々。

クズ屋が雇った「外人社員」のお話。韓国人編

オッサンの会社では外国人社員を6名雇っておりました。
韓国人3名
中国人1名
パキスタン人1名
バングラデシュ人1名
オッサンが募集したのは韓国人だけで、
中国人、パキスタン人、バングラデシュ人は
取引先や知り合いに頼まれて雇いました。
※オッサンは日本人です。




景気が一時的に良くなった時期で、
ウチの業績も右肩上がりだった。
大阪、名古屋、福岡に支店を出して
本社で鍛え上げた「現場も営業も」できる若手を
それぞれ支店長として送り込み、
本社は現場も営業もオッサン自らがやる状態。
遊ぶ時間がない。



よし! こうなったら募集しよう。


新聞折込に募集広告を乗せたんですが、誰も応募してこないんだわ。
募集開始して3か月も応募どころ問い合わせも無いの。
リーマン前の一瞬だけ景気が良かった頃でした。



ある日オッサンは韓国に「液晶パネル」の売り込みで出張してました。
「パチンコ海物語」から外した中古液晶の商談です。
この7インチ液晶はカーナビに最適でした。
当時・・・日欧米でカーナビの普及が始まった頃です。
マーケットは広大でした。
世界中からウチに引き合いがひっきりなしに来ましたね。



韓国にカーナビ製造の「ベンチャー企業」が一杯出来ました。
そのほとんどがSAMSUNGやLGを辞めた人間の起業です。


そのカーナビベンチャーの社長と商談しながら、
韓国で人材募集したら集まるかな? と聞いてみました


「スグ 集マルニダ」 「韓国の若者仕事ナイニダ」
「シャジャンニ(社長さん)、ネガ(私が)、募集してあげるニダ」
※韓国で採用しようと考えたのは、
起業間もなく韓国人を1人雇っていて、
その子が仕事は切れる、真面目、明るい、文句言わないと
4拍子揃ったいい子だったんです。好感度抜群の子だった。




採用試験をお願いしたところ・・・来る来る30人も面接に来たらしい。
一次面接は韓国社長に頼んだ、最終面接で韓国へ行きます。
最終選考に残った8名から3名を決定。


最終的に就労VISAを取得できたのは2名、1名はVISAが出なかった。
これで韓国人社員が3名です。


彼らの良いところ
「仕事は始まりから終わりまで」・・と叩きこまれている。
日本人は「朝9時から夜6時まで」が仕事ですが、
彼らは会社が「今日は終わり」と言うまでノー文句で頑張ります。
「残業手当」なんて概念はないみたい。
ウチのような「スーパーブラック企業」は大喜びですよ。



新社員の2人は古参韓国人社員の下でめきめき力を付けます。



オッサンは韓国支社設立の計画も有ったので
期待して楽しみに見てました。



そこへ「東日本大震災」が起きた。


韓国にいる親御さんが「放射能」を恐れて「帰ってこい」と
毎日電話があるようです。当然だと思います。



2人が「辞めます」と言ってきました。
辞めたくないけど・・・親に心配かけられないと・・・


オッサンはこれからどうするか?と聞くと、
韓国に戻って「できることなら」日系企業で働きたい。と言います。
2年で日本語ペラペラとなり、いろんなことを覚えてもう一人前です。



ウチで覚えるのはリサイクル知識は当然ですが
クズ屋に入る品物を見て商品知識、部品知識、原料知識など
かなり高度な知識が身に付くんです。
クズ屋って「情報の宝庫」なんですね。
勉強意識のある方にとってはですが。




彼らの、一生懸命頑張ってくれた彼らのため就職先を探そうと、
韓国に支店のある取引先を片っ端から当たった。
レアメタルで取引のあるコピー機メーカーとカメラメーカーから
ソウルで面接してもいいと連絡を貰いました。


紹介状を書いて持たせ、彼らは採用された。
どっちも一流企業よ、
もし日本の一流大学の学生が「そこに採用」されたら
大喜びの会社なんだが・・・
2人ともブランド名は知ってるけど
そこが日系企業とは知らなかったって。ビックリしてた。


まあSONYさんもアメリカ人はアメリカ企業と思ってるらしいから・・
そんなもんかもねえ



彼らは我慢強く、従順で、たくましく、頭の良い子達だった。


最近日本企業が韓国で「社員を募集する」との記事を読んだので
少し書いてみました。


韓国人は優秀だと思います。


もちろん・・・・人にヨッテはですけどね。